橘外人

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五蕴皆空

色は異ならず、空も異ならず、色は空であり、空は色である。受け取り、考え、行動、認識も同様である。#

「色」とは物質を指す。
「異」という字は、異なる解釈の他に、離れたという意味もある。
「空」とは空虚、真空を指す。
空の意味は、色がないことが空であるということではなく、また色がなくなると空になるということでもない。なぜなら、空は何もないわけではなく、虚無ではないからである。
因果関係によって生じる幻想を「色」と呼び、因果関係によって生じないものを「空」と呼ぶ。色は明確に現れているが、実体はないため、色は空と同じであると言える。
実体はないが、明確に現れているため、空は色と同じであると言える。
空と色は本来的には分けることができない。色は四大(地、水、火、風)によって成り立っており、その本質は空であり、すべての色は因縁によって生じるものであり、本来的な自己性はなく、すべて空である。四大が分離すれば、再び空に戻るため、色は空であると言える。
人間の物質、身体は本質的には空であり、地、水、火、風の四大によって成り立っているため、空は色であると言える。
要するに、因縁によって生じ、本質的には空であるということが「色は空である」であり、本質的には空であり、因縁によって生じるということが「空は色である」である。因縁によって生じるものは本来的な自己性を持たず、空であるということが「色は空である」であり、空は因縁に依存するものであり、因縁によって生じるものの本体であるということが「空は色である」である。

「五蘊皆空」とは、物質的な現象(色に相当するもの)や精神的な現象(受け取り、考え、行動、認識)はすべて因縁によって生じる法則であり、固定的で変わらない本質はないということを意味する。もしもそれを実在する本質と考えるならば、それは虚偽の区別であり、したがって色の本質は空であると言える。つまり、五蘊と空は同じであり、互いに相応していると言える。

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