橘外人

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十二因縁

  • 無明(むみょう)は、無知のことであり、すべての苦悩の総称です。因果関係によって生じる性質が明確でないため、あらゆる執着を生み出します。これを無明と言います。
  • 行(ぎょう)は、すべての行動を指し、無明によって生み出される善悪の業を意味します。
  • 識(しき)は、業識とも呼ばれ、この識は過去の業力によって報いを受けます。過去の業力によって駆り立てられ、善悪の種子を持って転生します。
  • 名色(めいしょく)は、名は心の意識を指し、色は形体を指します。一念の愛着によって母体に投入され、胎児となります。心と物が結びついて胎児となることを名色と言います。
  • 六入(ろくにゅう)は、六根を指します。母体の中で十か月の間に、名色から徐々に成長し、六根が完全になります。出生後、六根は六塵境と相互に関わり合い、それを六入と言います。
  • 触(しょく)は、触れることを指します。根と塵が結びついて触れることを意味します。出生後の六根がすべての外的環境と接触することを指します。
  • 受(じゅ)は、受け取ることを指します。根と境が逆行または順行の二つの状態に対して、苦しみや喜びといった二つの感覚が生じることを受けと言います。これは境に対して生じる一種の感情です。
  • 愛(あい)は、欲望の愛を指します。五塵の欲望の境界に対して、心が執着することを意味します。これは境に対して生じる一種の執着心です。
  • 取(しゅ)は、取ることや追い求めることを指します。好きな楽しい境界に出会った場合、執着して求め続け、手に入れるために全力を尽くします。嫌いな苦しい境界に出会った場合、執着を離れるためにあらゆる手段を講じます。これは欲望の境界に対する一種の追求です。
  • 有(ゆう)は、業を意味します。因果関係によって前因(愛と取り)があるため、後因(生老死)が生じます。業力によって引き寄せられ、因果関係は消えることはありません。このように三界の輪廻が成り立っています。これは業力による感謝の一種です。
  • 生(しょう)は、生まれることを指します。現在の行動によって引き起こされる結果として、未来の生まれを受けることになります。これは未来の報いに対する一種の活動です。
  • 老死(ろうし)は、老いと死を指します。すべての感覚器官が衰えることを老いといい、身体が壊れることを死と言います。生まれれば必ず死が訪れます。四大が結合した身体は、若さから老いへと変化し、常に変化するものです。これは未来の報いの一種です。

無明と行は過去の原因であり、識、名色、六入、触、受は現在の結果です。
愛、取、有は現在の原因であり、生、老死は未来の結果です。

前の原因によって現在の結果が生じ、現在の原因によって未来の結果が生じます。このように原因と結果は絶えず繰り返され、生死の輪廻は終わりがありません。
生死の流れに従っていくと、無明から行、そして生から老死へと続き、永遠に生死を受け続けることになります。これを輪廻の門と言います。
逆に生死の流れを逆転させることができれば、無明は消え、老死も消え、解脱を得ることができます。これが涅槃の門です。
解脱には般若の智慧が必要であり、般若の智慧があれば自然と愚かさ(無明)はなくなり、間違った行動(行)もなくなります。悪い潜在能力(種子)が識に流れることもなくなり、五蘊、六根、触、受、愛、取、有、生、老死なども存在しません。これが出世の解脱です。
そして空性の中には、実在する有情が生死の中で輪廻し、実在する有情が涅槃に解脱することはないため、心経では「無無明、亦無無明尽、乃至無老死、亦無老死尽」と言われています。

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